仕事を奪われる?
「AIに仕事を奪われる」
のではなくて、
「AIをうまく使う人が、より多くの仕事ができる」
のだと思う。
IQ(頭の知能)は人間を超えるかも知れないが、
EQ(心の知能)は別の話だと思う。
相手によって説明する内容をあえて手控えたり、あえて盛り込んだりする
「わびさび」はAIには無い。
(いまのところ)
◆主体は自分自身
ウィキペディアの丸写しでは間違いに気づかない。それがAIに変わっただけでは進歩がない。
AIに要約文や履歴書を書かせるのは有効な利用法だが、自分自身が内容を理解しておかないと、人さまと生で話すときに恥をかく。
原案は、あくまでも自分で考える。それをAIが校正・編集する。
AIは編集ライターであって、ゴーストライターになってしまってはいけない。
某デザイン系のAIは、わずか数分で見事な装飾レイアウトのプレゼン資料を作ってくれる。
美的センスに欠ける身の上が、PCソフトで何十時間もかけて作ったプレゼン資料とは比べるべくもない。
原文は自分の頭でしっかり考えたので、どのページをどんな角度から質問されても問題ない。
完成度の価値と、さらには時間的価値も高い。
◆ひとつのAIを鵜吞みにしない
AIは優秀な補助者、よき相談相手だと思う。
それならばAIを使わない手は無い。
とはいえ、どんなものでも100%完璧ではない。
セカンドオピニオンは大事。
わたしはChatGPTとGemini(+ほかのAIも)を併用する。実際に答えが違うこともあるので。
ぶっちゃけ、某・メジャーAIはときどき「知ったかぶり」を言うらしい。
そして人間が「『知ったかぶり』からの知ったかぶり」を言う。
そんなときに限って、思わぬ恥をかくのが世の理。
◆丁寧で親身なコーチに習う
巷にあふれる「AI学習講座」。その評判はマチマチのようだ。
もちろん質の良い学習講座は多くあるだろうけど、なかには
「一方通行に話を聞かされるだけで、自分に適した操作法を掴めない。」
「質問メールにあまり取り合ってくれない。」
といった感想も聞く。
わたしは、信頼できるWEBデザイナーさんにマンツーマンで教わっている。
おかげで、AIコンプレックスが吹き飛んだ。
(文面の一部に伏せ字があったのは、有料の授業で知り得た部分だから)
◆日進月歩どころではない
「乗り遅れた、さっぱり分からん…。」
と感じている人は、いまから学べばいいだけ。
過去のAI術はすでに使えないから、乗り遅れは気にしなくてもいい。
「じゃあ、まだ先でもいいや。いよいよ必要になってから学べばいいだろう。」
と思うのも、個人の自由だけど。
(困ってからでは遅いと思うけど)